Interview with MESSIAH DEATH - Jun Kokubo Dec 2013 pt 1


日本の最初期デスメタルバンドの1つであるMESSIAH DEATHのコレクションアルバムが Captured Records からリリースされた。同レーベルは名古屋の最初期デスメタルバンドの1つと言われるDEATHPEED の音源もリリース。これまでほとんど語られる事がなかった日本のデスメタルシーンの黎明期を解き明かす上でも重要な音源なのは間違いないだろう。
CDに付属されているライナーでも当時のシーンなどが解説されているが kultivation ではさらにMESSIAH DEATHの深淵に触れるべくオリジナルメンバーでバンド創始者のJun Kokubo氏 (※JK) にインタビューした!!  

インタビューアー Noboru Sakuma (Captured Records) ※NS

NS : 今回は宜しくお願い致します。今年、念願とも云うべきMESSIAH DEATHのCDをリリースさせて頂きました。御蔭様で国内外より非常に強い手ごたえを感じており、非常に嬉しく思います。
音源を再発してから、小久保さんへの反応はありますか?

JK : この度は本当にありがとうございます! 
企画から実現までに相当時間がかかってしまいましたが、それもタイミングと言う事で、今は関わった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです! 
今は現役でバンドをやっていたり、シーンに深く関わっている訳ではないので、新たな反応をダイレクトに受ける事は実際にはないですが、気になってTwitterだのをチェックしてみると意外や意外、結構若い世代の方も反応されていたりして、非常に嬉しいですね (笑)
後は、昔からの友人達が皆フォローしてくれたと言うのが本当に嬉しいです。
やはり最後は「人の繋がり」だなぁと強く思います。
改めて皆に感謝&感謝です! 


NS : では、今回は音源やインナーでは表現しきれなった、まだまだ奥深く濃厚だと思われます、バンドの歴史をこのインタビューで解き明かして行こうと思います。最初にMESSIAH DEATHを結成した経緯をお願いします。

JK : 元々、MESSIAH DEATHの結成前に、高校の同級生や先輩&後輩達と「CRIMINAL CHRIST」と言うモロにHELLHAMMERやら初期SODOMのような感じのバンドを結成して、デモを出したのが1986年8月。これが全ての原点ですかね。

この時からドラムは1年上の先輩の中川さん、そしてベースは最近復活を果たしたNECROPHILE/MULTIPLEXの大熊君 (彼は3年下だったんで、まだ中学生!!) と言う、その後の流れに繋がるような面子で (笑) ちなみに僕は楽器はできなかったので、ヴォーカルにて・・・。

まだ高校生のガキと言う事もあり、お遊びに毛が生えたようなレベルだったんですが、デモのカバーアートを当時UNITEDのギターだったマーちゃんが手掛けてくれたり、海外に音源を送ってみたら「え?日本から??」みたいな感じで好意的に受け止められて、ちょびっとだけ喜びを感じたりして・・・
でも音の感じや楽曲には全然満足していなくて、この頃は狂ったように世界中の地下音源を聴きまくっていた事もあって、何とかそんな音をこの日本で再現できないかな? と思っていました。

丁度1987年に大学進学が決まった事もあり、「曲を作りたいんだったらギターやるしかないな!」と思って、御茶ノ水のイシバシだったかイケベだったかに走って、YAMAHAの安いギターを買い込んできて・・・楽譜&タブ譜もチンプンカンプンなので、友人や先輩に教えてもらったり、見よう見まねでギターを始め・・・
あれ?何だか曲作れるんじゃね? と言う最大限の勘違い (爆) と共に、その年の6月に「MESSIAH DEATH」としてバンド再稼働!

バンド名を変えたのは、「CRIMINAL CHRIST」だと海外では変な勘違い (アンチクライストだとか・・・) をされるのではないかと言う懸念と、語感もイマイチだった事、それとバンド名に意味を持たせたかった事、その3つの理由から。
「MESSIAH DEATH」の意味は「この世には救世主なんていないんだよ」と言うメッセージを込めて。
この頃から捻くれてますね (笑)。ロゴを考えたのもフリーハンドで描いたのも僕です (笑)
メンバーは、ドラムにCRIMINAL CHRIST時代から一緒の中川さん、ギター&ヴォーカルが僕、もう1人のギターが後にも出てきますが、今でも大親友の杉下君、ベースは当時は見つからず・・・ 
バンドの方向性は、自分達の考えるところの Death Metal をここ日本から世界に発信する事。大体、ギターを始めてから僅か半年で、こんな壮大かつ馬鹿げた目標を持つ事自体がバカ丸出しなんですけど、当時は結構本気でした (笑)  
それとやはり、1986年に発売されたSEPLUTRAの”Morbid Visions”の衝撃の凄さかなぁ。あの単音リフの波状攻撃!これを当時日本で演ってるバンドは皆無でした (笑) これをやりたかった!
以上が最初期のMESSIAH DEATHのストーリーです。



NS : 当時はフロリダを中心に、世界中にてデスメタルバンドが発生し始めた最中でしたが、日本では殆ど認知をされていなかったデスメタルと云う特異な音楽をプレイしようと思ったのは何故でしょうか?

JK : 同時進行で「Deathrash Mayhem」と言うFanzineも始めていたんで、とにかく世界中の地下音源をテープトレーディングで聴きまくってました。そんな中で間違いなくダントツで邪悪で恰好よく、速くて重かったのが Death Metal と言うジャンル。もちろん普通のThrashやCrossoverも好きだったけど、自分のバンドで表現したい音はDeath Metalだって、これっぽっちの迷いも無かったですね (笑)それと、今後この流れがスタンダードになって、世界中に根を広げていく予感がありました。
周りを見渡してみると、CRUCIFIXION以外には本格的なDeath Metalをやっているバンドがなかったんで、じゃ自分達も自分たちなりの解釈でワールドスタンダードになっていくであろうDeath Metalをここ日本でやるぞ!と言う気持ちで。

NS : バンドを結成した際、影響を受けたバンドを幾つか挙げて下さい。

JK : 色々ありますが、初期のSEPULTURA, POSSESSED, MASSACRE(FL), MASTER,初期のDEATHこの辺りの影響が一番大きいと思います。
重さの部分では、HELLHAMMERやTROUBLEかなぁ・・・。

NS : 同時期、CRUCIFIXIONやNECROPHILE同様、日本でもBELETH、DEATHPEED等と少数ながらもデスメタルバンドが存在していましたが、彼等とは交流があったのでしょうか?

JK : もちろん日本中の地下音楽シーンとはダイレクトに繋がっていましたよ!
それはDeathrash Mayhem zineを主宰していたと言う理由もありますが、とにかく貪欲に「新しい流れ」を掴みたい & 広げたいと思っていたので、自然と (笑)。
BELETHの小川さんやDEATHPEEDの小松さんとは、最初期からやり取りをしていましたし、影響も少なからず受けていたと思います。特に小松さんには本当にお世話になりました (笑)。


インタビューにも出てきた大学進学決定と共に買ったYAMAHAのギターと共に。1987@Studio Penta

僕の音楽人生&文化的趣味に多大な影響を及ぼした元UNITEDのギター、マーちゃんと。 1987@Loft Shijyuku


NS : 小久保さんやMESSIAH DEATHに多大な影響を与えたと思われます、久野さんとの出会いとなったきっかけや、当時の思い出等ありましたらお教え下さい。

JK : この前も久野君がこっちに仕事で来ていた際に会って話をしたんだけど、最初の出会いは恐らく1985年頃じゃなかったかな。
西新宿にあったレコード屋「UK EDISON」を出たところで、いきなり怪しいTシャツを着た少年 (笑) に声をかけられ、それが久野君だったと言う (笑)。

当時僕が通っていた高校では、国内外のアングラなThrash Metalを愛好する連中がけっこう居て (感染源はほとんどが僕なんだけど~笑)、その連中とマーちゃん (元UNITEDのギター) やライヴハウスで友達になった友人なんかと、勝手にブートTシャツを色々作ってたんですよね。
一番最初はANTHRAXの"Fistful Of Metal"のジャケパクTシャツから始まってそれこそ色々 (笑)。
多分その内の1枚を着てて、そこに久野君が反応して声を掛けてきたんだと思う (笑)。当時は何だか見た事のないTシャツ着ている人がいると、すぐに声を掛けてたからね (笑)。

それで、会ってからすぐに僕の友人の家にいっしょに行ったらしい (この事は久野君から聞きました)
そこで、久野君の話す驚愕の地下音楽シーンの話題に、友人を含め即効ノックアウトされたと・・・
彼は当時はまだ中学生。それなのに、既に海外のアンダーグラウンドシーンとコンタクトをとっていて BATHORYのLPのThanx Listに名前が載っていたり、NECROPHAGIAのKilljoyと友人だったり、と恐ろしいコネクションに加え、当時はまだ聴いた事もなかった音源 (DEATHやMASTERなどなど)をカセットテープで色々聴かせてくれた・・・・。
もう衝撃を通り越して何だか別の次元にいきなり飛ばされたと言うような感覚でしたね (笑)。
それからは頻繁にコンタクトをとって、それがバンドの結成だったり、当時作っていたミニコミをFanzineへと昇華させる重要なキッカケとなった事は間違いない  (笑)。
今でも彼を最大限レスペクトしています。

Part 2 へ続く...